「諦観と覚悟」「まいにち修造!」

心のドア

私事ですが、1月5日位まではまだ大丈夫だったのですが、新年早々体調を相当崩してしまいまして、9日からお仕事のはずが、まだ寝込んでしまっています。最近体調の変化が多すぎで何とも情けない。。。

昨年はバブリーな事が流行ったり株価の高騰等があったり。で、今年はどうなるのかしら?バブルの再来かしら?力士の件はどうなるのかしら?せっかくの成人式に詐欺にあってしまった方々は救済されるのかしら?どうして世の中の出来事は自分では変えられない事ばかりなんだろう?流れに身を任せたとしても、物事には反動が付き物ですから、どうなっちゃうんだろう?と漠然な思いを持ったり、とかく、体調不良で横になってばかりいると、余計な雑念ばかり考えてしまいます。

そんなこんなで、重たい腰をあげて久々にPCへ向かってみました。

余計な雑念ばかりで悲しんで堕落してしまっている自分へ、松下幸之助氏の言葉を。

「諦観と覚悟人間は一面では自分の意思によって道を求めることもできるけれど、反面、自分の意思以外の大きな力の作用によって動かされているということを考えることも大切なのではないだろうか。もし、そのようなことが考えられるならば、私はそこから非常に力強い物が生まれてくると思う。人間、自分の意思だけで動いているのだと思うと、何か事があった場合にどうしても動揺しやすいけれども、もっと大きな力によって自分は動かされているのだと考えれば、それに素直に従ってゆこうということで、ある種のあきらめというと語弊はあるが、そこに一つの安心感が生まれてくるのではないだろうか。自分の小さな裁量によっていちいち是非を決し、事をはかってゆくということも、それはそれで大事だと思う。けれども人間というものは一面において、時により日によって心が移り、ものの見方、考え方が変わってくる。だから、自分の意思だけで一生を動かしてゆくということだけでは、どこか安心感を欠くものがあるという気がするのである。それだけではやはりときに迷い、不安動揺することにもなるだろうだから、自分の意思で歩んでゆくことはそれはそれで必要だけれども、同時にそれと同じように、あるいはそれ以上に、一つの諦観というか、いい意味でのあきらめをもって与えられた環境に没入してゆくことが大切だと思う。そのような覚悟が一面必要だということである。」

自分ではどうしようもない事を悲観するより、流れゆく日々に身を任せれば、不安は最小限で済むのかも知れないと私は思いました。考えても悩んでも変わらない事は考えない。もっと有意義な過ごし方が出来るはず。自分自身に問う事は多々ありますが、些細な事に頼って不安が増すよりも、自分自身が世界から見たら、たったちっぽけな事で頭を抱えていると思っていました。

さてと、どの扉を開けようかな?寛大な心のドアを開けられますように。ずーっと寛大な心を持った自分で居られるように願っています。

まいにち修造!
まいにち修造!

そういえば、引越ししてから「まいにち修造!」カレンダーを封印したままでした。元気やパワーの塊のような方ですから、またカレンダーを見て元気を貰おうかな。